石原の責任論(1)

石原の責任論(1): 尖閣諸島購入宣言

:そのドラマの梗概を手短に説明すると、こうだ。 

・1967年、自民党佐藤政権は「沖縄返還」を公約に掲げ、国内世論はこの問題で沸騰していた。「戦争に負けても外交で勝つ」。彼は、尊敬する元総理吉田茂の言葉を引き、東大の後輩でのちに外務官僚となる谷内正太郎に、沖縄返還で日本外交の力が試されると説く。

・ 彼は親交のあった自民党幹事長福田赳夫を介して、総理佐藤栄作と密会。返還交渉について、「密使」の仕事を依頼される。37歳の年だった。

・ 間近に迫った日米首脳会談で、返還時期のメドだけでもつけたい佐藤。 彼は、「ベトナム戦争の最中に、その前線基地となっている沖縄をアメリカが返すはずがない」と動きの鈍い外務省ルートとは別の突破口を求めていたのだ。

・彼は単身ワシントンに向かい、時の民主党ジョンソン大統領の側近、ロストウに働きかけ、「2~3年以内に返還時期のメドを付ける」との合意に成功する。(注:ロストウ、当時51歳、第7代国家安全保障問題担当大統領補佐官、任期‘66-69、ロシア系ユダヤ人、経済学者だが自己理論の実証を企てベトナム参戦を強く大統領に進言した実務家)

・しかし1968年の大統領選、反戦運動の激化でジョンソンは不出馬。早期ベトナム撤退を公約に共和党候補ニクソンが勝利し、交渉は振り出しに戻ってしまった。

・2年後、後継のニクソン大統領との首脳会談を前に、再び彼は、佐藤から密使の仕事を依頼される。今回は、「外交の達人」と呼ばれたキッシンジャーが相手だ。(注:キッシンジャー、当時47歳、第8代国家安全保障問題担当大統領補佐官、任期‘69–75、ドイツ系ユダヤ人。15歳で一家と共に米国に帰化。夜間高校を卒業後、町工場で働きながら大学に通学。一端軍に入隊後、ハーバード大学に編入復学。唯一、大統領職に就けなかったが、もし米国生まれであれば候補に指名された人物)

・ホワイトハウスに乗り込んだ彼は、キッシンジャーと二人で秘密交渉を開始。「核抜き、1972年の返還」と引き替えに、キッシンジャーが突きつけてきたのは、「有事の際の沖縄への核再持ち込み」と「繊維交渉での日本側の譲歩」という二つの密約だった。

・ばれたら政権が吹っ飛びかねない「爆弾」であったが、「沖縄を取り戻すためには、やむを得ない代償」と思い定めた彼は、佐藤を説得し続けた。

・1969年11月、ついに沖縄返還が決まった日米首脳会談。ホワイトハウスの小部屋で、密かに合意文書が取り交わされる。それは、佐藤、ニクソンキッシンジャー、そして彼の四人しか知らないものだった。

・役目を終えた彼は、佐藤に「私のことはすべて忘れてください」と語り、交渉における自らと密約の存在を封印する。1972年5月15日、沖縄本土復帰する。

:この「密使」なる彼は、京都産業大学法学部教授若泉敬(1930-96)だ。米ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所に在籍中、政界との人脈を築いたとされる。

・沖縄返還後、佐藤がノーベル平和賞受賞の栄誉に浴する影で、若泉は変わらぬ沖縄の基地負担の現実に心身共に疲弊し、やがて自決してしまう。

・生前、若泉は著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版し、返還交渉の裏舞台と密約を告白。また、沖縄県知事大田昌秀宛に「歴史に対して負っている私の重い「結果責任」を取り、国立戦没者墓苑において自裁します」とする遺書も送っていた。

:一方のキッシンジャーもまた、ニクソン大統領の「密使」だった。日本との密約に成功すると、ベトナム撤退への工作に動き出す。そしてニクソンとの二人三脚で、徐々に国務省から大統領府ホワイトハウスに外交権限を集中させていく。

・1971年、北ベトナムを支援していた中・ソの関係が悪化。この機を利用して、キッシンジャーはすばやい才覚を発揮して中国を極秘訪問する。そして周恩来内閣と和解の道筋をつける。一方のソ連とは、戦略兵器削減交渉を開始して緊張緩和をはかった。

・1973年、ベトナム戦争終結の和平協定が調印される。この功績によりキッシンジャーノーベル平和賞を受賞した。

:この両者の外交は、ともに「密使」として、主君に忠義を尽くして自国を愛する「忠君愛国」の外交だ。

・ただ、外交の達人キッシンジャーとの密約交渉で、外交経験のない国際政治学者若宮は米中和解を優先させるために仕組まれた「ビンのふた」作戦にはまってしまつた。(注:瓶の蓋、日米安全保障条約に基づく在日米軍の駐留が日本の「軍国主義」回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始めるとした論理に基づく兵法)

:今の日本には東日本大震災の復興、福島原発事故の処理、直下型地震の防災対策等など、問題が山積している。この傷んだ日本にあって、わざわざこの時期に、尖閣諸島の領有権問題(以後、尖閣問題)をとりあげて、騒ぎまくっている厄介者のホワイト・エレフォントがいる。それが「日本政治の行方(4)」で烙印した都知事石原だ。

・それは、若泉やキッシンジャーが規範とした「忠君愛国」の振る舞いを欠いているからだ。ここでいう「忠君愛国」とは戦前の軍国主義下での教えではない。

・一自冶体の首長として、その身分をわきまえ、主君である国に、秘密裏に接触し、黒子としての裏方役に徹する振る舞いだ。

・さらにいえば、国の安全・保障を憂慮して、国への売却に向けて、地権者の“過去の経緯”を解きほぐすことが使命だった。(注:過去の経緯、石原の話では、地権者は、戦争中、一方的に中島飛行機工場のために膨大な土地を取り上げられ、戦後も膨大な屋敷を区画整理で削られた苦い経験から一切国も政治も信用しないという)

・ かつて石原は国会議員だったが、この簡単な理屈と道理がわからないようだ。多分、国会ではパンダ外交の役回りしか経験していないからだろう。(注:パンダ外交、過去に石原は、任期途中で国会議員を辞めている。本人は産経新聞(2012/6/4)の中で、「官僚が支配する現今の政治のあるがままにいる政党にうんざりして国会議員を辞めた」と釈明。しかし関係者の説明は違う。「誰もこの男を相手にしなくなったためだ。というのも、実力もないのに特権意識とプライドだけが強く、国会議員仲間の人望がないうえに、派閥を率いて子分にカネを配る力もなかった。それが証拠に1989年の総裁選の時には、立候補に必要な20人の推薦人すら集めることに苦労した。当時の党内での石原の存在は、選挙時の人寄せ「パンダ」だった。自分でもそれががまんならなかったので辞職した」)

:本来、毎日新聞の社説にあるように、領土の保全は国の仕事であり、「国の尖閣購入手続きは静かに淡々と」、そして「秘密裏に」に進行させるべきものだった。

・ところが、この石原、わざわざ米国くんだりまで出かけていき、4月17日、保守派主催のシンクタンク講演で、「都の尖閣購入」の突撃ラッパを吹いた。

・まさにタレントのパンダ外交だ。日本の外交の恥を海外に見せびらかしたばかりでなく、国と都が領有権(所有・管理権)争いをしている印象を与えてしまった。

・そのうえに、7・27日、広告費1700万円をかけて、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙に意見広告を載せた。狙いは、尖閣購入計画に米国民の賛同を求めるためだという。

・これを読んだら、米国人ばかりか、台湾人や中国人も腹を抱えて笑いころげるだろう。「石原よ、広告を打つ前に、まず国内(国と都)の尖閣紛争を解決させろ」と。

・日本のマスコミがなぜ、この男をたたかないのかも不思議だ。このようなケースでは、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストといった米国の有力紙、いやクリスチャン・サイエンスの宗教紙でも、「国を危うくする愚か者の行動」の見出しで批判するだろう。

・もっとも、こうした石原の行動は、これが初めてではない。何かというと子供のように、自国民に毒舌のツバをかける常習犯だ。毒舌を繰り返すのは、都民の目線にたった会話ができないくやしさか、小心の弱虫だからである。自分から人との和をつくれない点では、よく批判する官僚と似ている。

・ 昨年3・14日、石原の「東日本大震災天罰発言」。海外でもことのほか関心を呼び、ネット版CNNなどのメディアでも大きく報道された。それ以来、海外では名うての「ブーイング」男として有名だ。

✩Tokyo governor apologizes for calling quake divine retribution、Dan Gilgoff, CNN記者、2011/3/15

:領有権の争いは東シナ海の小島嶼に限ったことではない。カナダと国境を接する米国最東北部のメイン州。その沖合いに位置するマチアス・シール島(Machias Seal Island)。

・広さ16万平方メートル(尖閣3島の8倍ほど)で、口ばしと水かきが真っ赤な海鳥ツノメドリが生育する無人灯台がある岩島だ。その領有権をめぐって、米国とカナダは長年争っている。

・とくに19世紀、カナダ側二州に住むフランス系カナダ人の多くは、メイン州に出稼ぎしており、同州人口の90%を占めるアングロ・サクソンから文化的な差別をうけた歴史がある。

・それでも両国は、「暗黙の了解」の上で現状を維持させる姿勢をとっている。それが証拠に、島の無人灯台はカナダ側が維持管理している。

:かつて、中国の政治家トウ小平が、日中の領有権問題に触れ、「知恵者が現れ解決されるまで待つ」と発言し棚上げした。

北アイルランド領土問題も、知恵者が現れるまでに一世紀を要した。その間、英統治を望むプロテスタント系と、アイルランドへの帰属を求めるカトリック系の流血対立が続き、多くの人命が奪われた。

・6・26日、100年ぶりに英国のエリザベス女王がアイルランドを訪問した。女王のいとこも、またフィリップ殿下の叔父もテロで殺害されており、個人的な憎しみを超えた和平訪問だった。

追加:

マチアス・シール島の領有権に関する米国・カナダの国際司法裁判所(ICJ)提訴

http://en.wikipedia.org/wiki/Machias_Seal_Island