石原の責任論(8)

石原の責任論(8)/マツチポンプ#3

:先月11日、リビアの米大使ら4人が殺害された。イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜したとされる短いビデオ映画がネット動画サイトに投稿され、イスラム社会の激しい怒りをかい、米領事館の襲撃にまで発展した。

・ところが、2010年にもこの類の事件が起きている。米フロリダ州の新興教団の牧師が、9.11テロの追悼集会で、イスラム教の聖典コーランの焼却を計画した。計画は事前に予告されていたために、全米に報道され物議を醸すこととなった。

・米マスコミはこぞって牧師を批判し、米世論もこれに追従するなかで、米国務長官クリントンは、「尊重しがたい恥ずべき行為」と強い口調で批判した。さらに、アフガニスタン駐留米軍司令官も、「アフガン駐留米軍部隊ばかりでなく、一般の米国人にまで危害が及ぶ可能性がある」と強く警告した。

・ 聖典コーランを焼却することは、米国では法に触れることではない。しかし焼却計画が実行されれば、イスラム社会の激しい怒りをかい、海外在住の米国人同胞の身に危険が及ぶことは明らかだった。だから、メディア、世論、そして政府が一体となって声をあげ、計画を阻止しようと試みたのである。これが「米国人の良識」だった。

:一方、尖閣購入を宣言した都知事石原の行為は、この牧師の自我自演(マツチポンプ)による国を危うくする愚かな行為と同じだ。だが、その対応は米国社会とは大違いだった。

・端的に言えば、日本人は中国にいる同胞を見捨てたのである。本来、米国メディアのように、日本のメディアも石原の愚かな行為をたたくべきだった。だが、誰もそうしなかった。唯一、批判の声をあげたのが中国大使だ。大使であれば在留邦人の生命を守るのは当然だ。その立場での批判であり警告だった。

・中国の日本人駐在員や特派員からは「丹羽大使よ、よくぞ言ってくれた」という声が圧倒的だったという。そして大使が警告したことが的中し、反日テロが中国全土に勃発した。ところが、大使は更迭されてしまった。これが「日本人の良識」だ。東日本大震災での福島原発事故を教訓に、多くの日本人が、原発に無関心だったことを悔いたはずだ。石原の行為に対しても、無関心さが同じことを再現させてしまったようだ。

中国には約2万社の日系企業が存在し、約10万人の日本人がいる。石原の行為が誘発した反日デモは日系企業の工場や店舗を破壊した。在留邦人の大人や子供たちは身の危険を避けるために外出を避け、自宅にこもり、ひたすら鎮静化するのを待つしかなかった。この間の不安や恐怖は、現地にいて体験したものでないとわからないだろう。

・ 石原は約10万人の日本人同胞の生を危険にさらしたわけだが、その後もなにくわぬ顔でマスコミに登場しながら、いまだに自分の責任の所在を語ろうとはしない卑怯な男だ。まるで、おもちゃ箱をひっくり返したあと、自分では後片付けできない幼児のようでもある。

・ そもそも、石原は多数の死者をまねいた東日本大震災を「天罰」だと発言した男だ。海外にいる日本人に危機がせまろうとも自分の知ったことではなかった。むしろ、中国人が日系企業を襲撃・破壊する映像が流れることで、日本人の嫌中意識を増幅させる狙いがあったのかもしれない。

:今月12日、ノーベル平和賞ヨーロッパ連合EU)に贈られた。政治的な意図だとの批判もあるが、60年以上にわたって欧州における平和と和解、それに民主主義と人権の確立に貢献し、国境を越えた統合を成し遂げた功績は評価に値する。

・なかでも、ドイツは、リーマンショック以降、ギリシャに始まりイタリア、スペインに飛び火し、いまだにくすぶり続ける金融危機のなかで、フランスと協力して、救世主的な役割を担っている。

ドイツと日本は第二次世界大戦で同盟国として戦い、無条件降伏した。だが、戦後の再出発は両国で大いに異なっている。ドイツはポツダム会議で米・英・仏・ソの4つの占領地区に分割され、独立国家としての存在が一時断絶した。日本は連合軍下におかれたが、幸運にも国家体制は存続することができた。

・ ところがドイツは、国の断絶という重い試練を課せられながら、かつての敵対国と融和をはかることに成功している。戦後67年の歳月が経ったが、いまなお、アジア隣国との間で過去の問題をかかえている日本とはあまりにも対照的だ。

ドイツでも、過去を悔いて謝罪することには保守層が強く抵抗した。だが、ドイツ国民は「戦後のドイツ政権」と、対外侵略やユダヤ人撲滅をはかった「ナチス・ドイツ政権」との間を線引きして、自分達もナチスの被害者であると定義した。2005年の戦後60周年記念式典で、当時の首相シュレーダーが、「連合国による勝利はドイツに対する勝利ではなく、ドイツのための勝利であった」と演説したことからもうかがいしれる。そして被害者の歴史認識に立って、ホロコーストや侵略を否定せず、過去の罪をきちんと認めている。

:大阪市長橋下徹は、尖閣諸島竹島の問題に絡み「中国韓国が何を怒っているのか、しっかり過去の戦争を総括すべきだ。恨みを持たれてもしょうがないこともある」と述べたうえで、「日本人はアジアの歴史をあまりにも知らな過ぎる。今の日本の体たらくが、竹島尖閣の問題に結び付いている」と強調し、問題解決には過去の歴史の再検証が不可欠との認識を示している。

・また、島根県竹島を巡る日本と韓国の対立について、韓国との共同管理を目指すべきだとの認識のうえで、「韓国の実効支配を武力で変えることはできない。どうやったら日韓の共同管理に持ち込むかという路線にかじをきるべきだ」と述べている。

:2003年に政界を引退した元内閣官房長官野中広務は、中国国営テレビ局「中国中央電子台(CCTV)」の取材の中で、日本政府の尖閣購入による中日関係亀裂に対して、「こんな不幸な事件が起きたのは、まったく日本の人間として恥ずかしい。中国の皆さんに大変申し訳ない」と謝罪した。

・また、現在の民主党政権、そしてかつて所属していた自民党に対して、「国のためにどうするか、国民のためにどうするか」という国家観、そして「そのために周辺国とどのように平和を守っていくか」という大局観を欠いていると批判し、「情けない、悲しい思いです」と嘆いている。

・さらに日本側の歴史認識についても、「長い間戦争で多くの犠牲を残し、今なお傷跡が癒えていないその中国に対して、歴史を知らない若い人たちはそういうことを抜きにしてひとつの対等の国としてやっているんです。それは間違っています」と懸念も示している。

:石原の行為は、日本が隣国との間で互いの歴史認識を十分に議論つくしていないところに、爆弾をおとしたようなものだ。だが爆弾では解決しない。まず、過去を克服するためにドイツにならったらよい。そしてとにかく会話することだ。戦後67年が経つが、決して遅いという言葉はない。そのうえで、日本は「戦中下の政権」と「戦後の政権」との間を線引きしたうえで、早く過去を後景に退かすことだ。これができなければ、アジア諸国との亀裂がますます深まり、日本は孤立するのみだ。

:次の記事が9月25日付朝日新聞の天声人語に掲載されている。

・40年前のきょう、当時の田中角栄首相は北京へ発った。毛沢東主席、周恩来首相と会談をこなし、中国との国交関係を回復したのは9月29日のことだ。歴史的な訪中の前日、田中は東京西郊にある高碕達之助の墓前に参じている

・日中友好の井戸を掘った日本人として、真っ先に名前のあがる人物だ。実業家にして政治家で、周恩来との間に信頼と友情を育み、国交正常化への道をつけた。いま泉下で、角突き合わせる両国を何と見ていよう。

・北京で開催予定だった国交40年の記念式典が事実上中止になった。節目節目に開かれてきたが、取りやめは初めてだ。他の交流事業や催しも相次いで中止、延期になっている。先人が掘り、後続が深めた井戸の水位が、みるみる下がりつつある。

・本紙が両国で行った世論調査で、日本の9割、中国の8割が「日中はうまくいっていない」と答えた。中国での調査は尖閣諸島の国有化前だから、今はさらに悪化していよう。どちらの政府も弱腰批判が痛手になりかねない。

・きょうは中国の文豪、魯迅(ろじん)が生まれた日でもある。魯迅といえば「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」の一節が名高い。日中の井戸も、戦後の荒野についた道のようなものだ。営々と時をかけて太くなってきた。

・すぐ指をポキポキ鳴らしたがる大国は厄介だが、平和国家は「柳に雪折れなし」の外交で、譲らず、理を説いてほしい。勇ましい声に引きずられると、井戸は涸れて火柱が立つ。